「陸前高田市の奇跡の一本松」を撮影したカメラマンの話 写真の力とはなんだろう伝えればいいってもんじゃない

「陸前高田市の奇跡の一本松」を撮影したカメラマンの話 写真の力とはなんだろう伝えればいいってもんじゃない

ボクの親せきが福島県と岩手県に住んでいます
そのため、東日本大震災には少し特別な感情があります

安田菜津紀さんというフォトジャーナリストがいます

経歴を紹介します
安田菜津紀(やすだ・なつき) studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト
1987年神奈川県生まれ。上智大学卒。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は岩手県陸前高田市を中心に被災地を記録し続けている。
「奇跡の一本松」を撮影したカメラマンでもあります

フォトジャーナリストの原点

安田さんのフォトジャーナリストの原点はカンボジアです。まだ学生の時です
これは安田菜津紀さんの言葉です

初めて感じた「伝えたい」との思い
取材したのはカンボジアの人身売買の被害者である
帰国後書いた原稿が雑誌に掲載された
ところがいざその雑誌を手にしたとき、自分が一番伝えたいはずの同世代の友人たちに突然「読んで」というのはハードルが高いことに気づいた。

気づいた写真の力
カンボジアで撮った写真を友人たちに見せていたとき。「ねえねえ、何の写真?」と普段は会話をしないクラスメイトが話しかけてきてくれた。
そんな彼女たちの反応から、写真の持つ役割に気づかされることになる。
確かに文字の方が、情報量は多い。けれどもその文字にたどり着くまでをどう導くかが問題だった。その点写真は、瞬きをするその一瞬で目に映り込み、もしそれが力のある写真であれば「何だろう?」と、無関心から関心へと、人の心を引き寄せることができるのだ。

東日本大震災

安田さんは取材先のフィリピンで東日本大震災を知る
帰国後安田さんは義父母が暮らす岩手県陸前高田市に向かった

「奇跡の一本松」

安田菜津紀さんの言葉です

一本松は「希望」なのか
幸い義父は一命をとりとめた。義母はかえらぬ人となった
陸前高田市では1700人を超える人々が死亡行方不明となっていた。これだけの悲しみに覆われた街で、私は一体何を発信出来るのだろうか。自分がどれほどシャッターを切ったとしても、瓦礫がどけられるわけではない。
避難所の人たちのお腹を満たすことも出来ない。

そんな中で何とかシャッターを切ることが出来たのは、後に「奇跡の一本松」として知られる松だった。
瓦礫に囲まれながらも、朝日の中で真っすぐに立ち続けるその姿は、希望そのもののように思えた。

そんな気持ちで夢中でシャッターを切り続けた。
後にその写真は「希望の松」というタイトルと共に、新聞に掲載されることになる。
「ようやくこの街のことが伝えられる!」と、真っ先に義父の下にその記事を見せにいった。ところが父は険しい表情でこう語った。

「あなたのように、以前の7万本だった頃の松原と一緒に暮らしてこなかった人間にとっては、これは希望の象徴のように見えるかもしれない。だけど以前の松原と毎日過ごしてきた自分たちにとっては、波の威力を象徴するもの以外の何物でもない。〝あの7万本が1本しか残らなかったのか〟って」「見ていて辛くなる、出来れば見たくない。」
と父は顔を伏せた。

自分は一体、誰のための希望をとらえたかったのか。
なぜもっとシャッターを切る前に、人の声に耳を傾けることをしなかったのか。

ボクは思います

写真は時に言葉を超えて大きな力を持ちます。
だから使い方によっては人を傷つけてしまいます
でも写真には社会を変える力があります人を笑顔にする力があります
ボクはそう信じています

参考文献 『Journalism』朝日新聞社

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